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光市は、山口県の東南部、周南工業地帯の東部に位置し、東西方向は約16km、南北方向は約15kmの瀬戸内海国立公園を一部に含む自然景観の優れた、人口約5万4千人の都市です。
市域の北西部には島田川、北東部には田布施川が流れており、両河川を中心にまとまった平地が広がっています。両河川の上流部には良好な田園地域が広がるとともに、島田川下流部の河口デルタ地帯を中心とした瀬戸内海沿岸や岩田駅周辺には市街地が形成されています。
また、瀬戸内の温暖な気候と豊かな自然環境に恵まれており、白砂青松の室積・虹ヶ浜海岸や象鼻ヶ岬など風光明媚な海岸部は瀬戸内海国立公園に、また、青々とした森の石城山を中心とした山間部は石城山県立自然公園に、それぞれ指定を受けています。
山口県光市の位置
面積 | 91.94平方キロメートル |
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市の花 | ウメ |
市の木 | クロマツ |
山陽海路の要津として栄えた御手洗湾、室積湾を包むようにして室積半島の先端から伸びる象鼻ヶ岬は天の橋立になぞらえて周防橋立とも呼ばれる美しさを誇っています。
岬に茂る峨嵋山の暖帯性樹林は、国指定天然記念物として、今も原生林に近い姿をとどめています。
また、室積半島は自然環境に恵まれるとともに、古い歴史と町並みが残されています。
象鼻ヶ岬
旧伊藤博文邸は、伊藤公自らが基本設計したルネッサンス風の建物です。明治43年に完成しましたが、明治42年10月にハルビン(現中国東北地方)で暗殺されたため、ここに入居することはありませんでした。
建物は、後に伊藤家から山口県へ寄贈され、昭和27年に当時の大和村に無償で払い下げられました。
現在は、県指定文化財として保存されており、伊藤公記念公園のシンボルとなっています。
旧伊藤博文邸
石城神社の創建は明かではありませんが、社伝によると敏達天皇3年(574年)の鎮座と言われ、また、現在の本殿は1469年(文明1)に大内政弘が再建したものであるといわれ、天皇の勅額と伝えられる「石城宮」も保存されています。本殿は春日造、こけら葺一間社、幣殿、拝殿は銅葺です。
明治40年5月27日に特別保護建造物に指定され、昭和4年7月1日国宝に、同25年9月29日文化財保護法制定により重要文化財に指定されています。
石城神社
平成10年4月5日、当時の山口県光市と光町は、その名のごとく同じ「光」の一字を自治体名にもつまちとして、ひかりあふれるまちの栄光と発展を願い、信頼と友情のもと、お互いのまちに虹の橋を架け、教育、文化、スポーツ、産業など七色の友好交流を進めるため「友好交流の誓い」を締結しました。
平成16年10月4日、当時の光市と大和町が合併し新市「光市」が、また平成18年3月27日に光町が横芝町と合併し「横芝光町」が誕生し両市町とも合併により新たな歩みを始めましたが、これまで培ってきた友好交流を今後も継続するとともに両市町の繁栄を願い、平成18年11月26日付けで「友好交流の誓い」を締結しました。
山口県光市
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