町の紹介・観光

歴史・伝統

殿塚・姫塚 | 町原大銀杏 | 坂田城址 | 四社神社 | 海保漁村誕生の処 | 鬼来迎 | 考古資料 | 縄文時代遺跡 | 石仏 | 天然記念物 | 民俗芸能 | 民俗資料 | 仏像

殿塚・姫塚

写真:殿塚・姫塚

ともに古墳時代の武社国造の時代に作られた前方後円墳。

殿塚は直径86m、姫塚は58.5mあり、特には殿塚は山武地方最大の墳丘墓とされています。

昭和31年(1956)の発掘調査で、姫塚の墳丘から人物はじめ形象埴輪群が出土し、大豪族葬送の行列を現しているといわれます。

町原大銀杏

写真:町原大銀杏

樹齢500年と推定される大銀杏。

その幹のまわりは約6.5mを測ります。

枝に垂れる「樹乳」は、女人信仰の対象ともなっています。

県内でも珍しいお葉付銀杏で、平成31年3月5日に千葉県指定天然記念物になりました。

坂田城址

写真:坂田城址

戦国時代末期の城郭遺跡。

15世紀、千葉氏庶流の三谷氏が築城し、のち井田氏が城主となった戦国時代屈指の城郭でした。天正18年(1590)小田原の後北条氏の滅亡とともに落城しました。現在、台地上の山林中に、曲輪・土塁・空堀などが残っています。

四社神社

写真:四社神社

平安時代の上総介平良兼との関係を伝える旧郷社。

現在の本殿は元禄元年(1688)11月の造営とされ、九十九里地方屈指の社殿建築と評価されています。

海保漁村誕生の処

写真:海保漁村誕生の処

寛政10年(1798)に海保修之の三男として横芝光町北清水で生まれました。儒学者太田錦城の門下生となり、やがて第一人者となりました。

師の勧めで江戸下谷に塾を開き、後に佐倉藩主堀田正睦に中国の孔子・孟子などの学問を講義するようになります。

安政4年(1857)、幕府の医学館直舎の儒学者となり、門弟には政界財界の渋沢栄一や鳩山和夫など多数の著名な人物がおります。

慶応2年(1866)69歳で没しました。

鬼来迎

写真:鬼来迎

鬼来迎は演者はもちろん、舞台の設定から衣装整備まで、すべてが地元住民の手により行われます。平成3年には東京国立劇場でも上演され、「これは素人の芸ではない」と多くの人々を驚愕させました。劇は地獄の責苦を骨子とした「大序→賽の河原→釜入れ→死出の山」の四段と、広済寺建立縁起を物語る「和尚道行→墓参→和尚物語」の三段、全七段からなり、現在は前4段のみが演じられ、上演時間は約1時間半です。

写真:鬼来迎

舞台下手の櫓の陰から突然響きわたる、鐃鉢(にょうはち)の音と「ホッホッホー」の奇声。うだるような暑さの中、ざわめく見物客たちがはっと顔を上げると、いよいよ地獄の幕があく。横芝光町に古くから伝わる「鬼来迎(きらいごう)」は、因果応報(いんがおうほう)、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)を説く、全国で唯一の古典的仏教劇で、その起源は約八百年前、鎌倉時代初期にまで遡るといわれ、昭和51年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

■虫封じ

最初の「大序」の場面で、登場する鬼婆に赤ちゃんを抱いてもらうと健康に育つ、という言い伝えがある。毎年「地獄の釜の開く日」の月遅れの8月16日、鬼来迎の演じられる広済寺境内は、わが子の健やかな成長を願う両親、そして全国から集まる見物客で華やかににぎわう。

日 時 毎年8月16日 おおむね午後3時ころから
※お盆の行事として演じられるため、正式な開演時刻は決まっていない。       
場 所 広済寺
交 通
アクセス
自動車利用
銚子連絡道路横芝光ICから車で約5分
電車利用
JR総武本線横芝駅下車 タクシーで約15分

考古資料

■板碑

町内には、主に室町時代に建てられた板碑と呼ばれる石碑が多く分布します。そのうち町指定の板碑は8基あり、中には高さ1mを超える大きなものもあり、中央には仏様を表した、インド文字の梵字が彫ってあります。

  

町指定 台宗龍寺の板碑     町指定 小川台隆台寺前の板碑

■遠山天ノ作遺跡出土旧石器時代石器

町内には10箇所近くの旧石器時代遺跡があり、町には3万年以上前から人々が住んでいたことが分かっています。その中で、遠山天ノ作遺跡からは、約3万年前の楔形石器という変わった石器が、県内では初めてまとまって出土したことで有名になり、平成30年4月に町指定有形文化財になりました。


町指定 遠山天ノ作遺跡出土旧石器時代資料

■東長山野遺跡出土縄文土器

町内には縄文時代の遺跡が多くありますが、中でも長倉の東長山野遺跡は今から約5千年前の縄文時代の集落跡が発掘され、多数の縄文土器や石器が出土しました。これらから当時の生活の様子を見ることができ、平成30年4月に町指定有形文化財になりました。

  

町指定 東長山野遺跡出土資料

■小川台古墳群出土埴輪

町には殿塚・姫塚をはじめ多くの古墳がありますが、中には一風変わった埴輪が出土しており、小川台の5号墳からは武人の女性埴輪のほか、角を付けた鹿の埴輪もあり注目され、平成30年4月に町指定有形文化財になりました。


町指定 小川台古墳出土埴輪

■篠本城跡出土中世資料

町内には中世の城跡があちこちにありますが、中でも篠本城跡は今から20年ほど前に全体が発掘され、その全容が解明されました。篠本城跡は室町時代中期の古い形の城跡で、堀に囲まれた曲輪の中には、当時の館跡が多数見つかり、多くの人が住んでいた村のような城跡でした。そしてその中からは当時の生活用具(陶磁器や砥石)が多数出土し、全国的に有名になりました。平成30年4月には出土資料が町指定有形文化財になりました。


町指定 篠本城跡出土資料

縄文時代遺跡

■山武姥山貝塚

大総地区の姥山というところに、縄文時代の貝塚遺跡があります。この遺跡の名前に山武と付くのは、市川市にも同じ名前の遺跡があるため、それと分別するため山武姥山貝塚と名付けられました。この貝塚は、縄文時代の中期(5千年前)から弥生時代の初め(2千年前)に栄えた遺跡で、特に縄文時代の晩期ではこの地域に特徴的な土器や、弥生時代とをつなぐ土器が出土したため、古くから学術的に注目され、大学や県によって学術調査されてきました。また、千葉県の太平洋岸では最大の貝塚であり、非常に重要な遺跡でもあります。しかし、現在は無指定ですので、史跡指定を目指しています。


山武姥山貝塚

石仏

■野の仏

町内にはいたるところに石仏を見ることができます。石仏にはお墓の入り口に立お地蔵様のほか、路傍の辻々には庚申塔や馬頭観音、小さな水路の脇には十九夜塔などが、ひっそりと立っているのを見ることができます。その中で、屋形無量寺入り口の六地蔵と、中台大宮神社前の庚申塔が町指定になっています。

  

町指定 屋形無量寺の六地蔵   町指定 中台大宮神社前の庚申塔

    

芝崎古道の十九夜塔  長倉古道の馬頭観音

天然記念物

町には県指定になった町原大銀杏のほかにも天然記念物が6件あります。その多くは巨樹で、榧の木、椎の木、槇の木など、温暖なこの地域に特徴的な樹木が多くを占めています。なかには、樹齢が古いため中に洞ができ、今日に環境の急激な変化により、樹勢が弱ってきている木もあります。また、古川の浅間神社の森は椎の木の極相林で、この地域の原風景を残す貴重な森です。

  

町指定 古川の浅間神社の森   町指定 篠本新善光寺の榧の木

民俗芸能

町内には、鬼来迎のほかに祭りで舞われる民俗芸能がいくつか残っています。
中台大宮神社では、8月の終わりに境内の銀杏に掛けた梯子に乗って舞われる梯子獅子、屋形四社神社と宮内熊野神社では1月と3月に岩戸系の十二座神楽、鳥喰下では伊勢系の獅子舞が地元の人たちによって行われます。

  

町指定 中台梯子獅子      町指定 屋形四社神社里神楽

  

町指定 宮内熊野神社神楽    町指定 鳥喰下大神楽

民俗資料

町内には民俗資料として鬼来迎かつて使われた古面や、町原大稲荷に伝わる絵馬などが指定文化財になっています。そのほか、指定されていませんが、農具や生活用具、養蚕用具、民俗行事に使われたお面など、多くの民具があります。

  

県指定 鬼来迎古面     町指定 町原稲荷神社絵馬

仏像

町内には、平安時代末から鎌倉時代に造られたと思われる古い仏像があります。中でも辻観音院の木造阿弥陀如来坐像は、定朝様式を示す端正な作りで、平安時代の作と言われます。古屋薬王院の木造薬師如来立像は、平成24年の修復で、胎内から「承久元年、平常秀中略」の墨書が見つかり、造立年と造立者と思われる事実が分かりました。篠本新善光寺と小川台隆台寺に安置されている銅像阿弥陀三尊立像は、鎌倉時代に流行った善光寺信仰に伴って造られたと言われ、全国に同様な仏像があります。このほか、町内あちこちのお寺や祠には様々な仏像がありますが、保存や管理が危ないものが多くあります。

     

県指定 古屋薬王院木造薬師如来立像  県指定 辻観音院木造阿弥陀如来坐像

     
 

県指定 篠本新善光寺銅造阿弥陀三尊立像  県指定 小川台隆台寺銅造阿弥陀三尊立像

     

町指定 宝米明光院木造阿弥陀三尊立像  篠本新善光寺本尊木造不動明王座像

ページの先頭に戻る